『応援画団』誕生秘話・10周年こぼれ話

 早いもので10年が過ぎてしまいました。
 思い起こせば97年、当時23歳の私はある映画の企画を持ち込まれて大変困っていました。それは戦時中に南方で生還した方の自伝を映画化する…というもので、本人は体験記も出版し、なかなかにノリ気なんですが、当の私といえばただの学生。大学で映画は習っていても集団芸術をそう容易く実現する力も自信もありませんでした。

 とにかく一度、慰霊の旅に付いて来て欲しい。
そう頼まれたものの、正直どうやって断るべきか悩んだ挙句、大学の制作実習のテーマとしてこの旅のドキュメンタリーを制作することにしました。
 たかが大学の実習制作で海外まで行くのはどうかとも思いましたが、目の前の素材にはとりあえず喰らい付いてみる若さがまだありました。
 初めての海外、初めてのパスポート申請。
カメラはまだデジタルビデオカメラが高く、友人の持っていたHi8のハンディーカムを安く譲ってもらいました。



 今回のテーマは2つ。
ニュースの特集番組並みの短期間制作への挑戦。
そして高画質への挑戦でした。

 短期間制作については、大学の編集室が後期になると混雑するので、出来るだけ早く作り上げてしまいたいという切実な事情がありました。
 高画質については、当時テレビで「進め!電波少年」という、突撃レポートものの番組があったんですが、これの画質が素晴らしく酷かったんです。
突撃レポートという性格上、じっくり画作りを…とはいかなかったのでしょうが、家庭用だってちゃんと撮ればキレイに出来るんだということを証明したかったのです。
こうして準備は着々と進行していきました。

一方、班名も考えなくてはなりません。

 当時は映画コース、広告コース、表現コースとあり、映画コースには10名以上のスタッフを抱え班名はアルファベット3文字の、いかにも一大プロジェクト志向のグループが存在しました。
 私はイメージ先行のそのグループのスタイルがイマイチ受け入れられず、夜更けのファミレスで相棒相手に散々コキ降ろしてたら後ろの席にそのグループの制作係がいたりして(笑)
とにかくアルファベットは嫌だ。
しかしひらがなも嫌だ。
漢字はどこか香港映画臭い…
あれでもない、これでもないと相棒の車の中で議論は続きました。
カーステには椎名へきるの曲。
その歌詞の中に「応援しているから」という一節がありました。

応援。
この言葉に私は引っかかりました。

結団の前年、私は祖父を亡くしました。
数ヶ月に及ぶ介護。
そして死。
祖父の死後、私は映像を学ぶ意義に疑問を感じていました。

映像を作ってもひと一人救えないじゃないか。
映像なんて役に立たないものなんだ。

失意の日々。
そんな時、私はある映画に出会います。
「ブルース・ブラザーズ」



ギャング崩れの男たちがバンドを結成し、生まれ育った孤児院を救う。
単純だけど愉快痛快な作品に私は心から笑いました。
笑って笑って。
スタッフロールが流れる頃に思いました。

映画だって人を元気づけられるじゃないか。

人を元気づけられる映像。
だれかを支えられる映像。

応援。

応援歌のような映像を作る団。
応援歌団。

いいじゃないか。

そこへ相棒がもう一言。
俺たちは「歌」じゃなくて「画」を作るんじゃないか?

こうして「応援画団」は誕生しました。
ちなみにロゴにあるスローガン「Everybody Needs Somebody」は、「ブルース・ブラザーズ」のエンディングテーマ「Everybody Needs Somebody To Love」から。



こうして応援画団の10年はスタートしました。
最初は大学で、そして大学の外にはみ出し、やがて作品が電波に乗ることも何度かありました。
栄光、修行、挑戦、挫折…
つい先日、引き出しからパスポートが出てきました。
有効期限が切れた10年パスポート。
いろいろあった10年。
でもまだ10年。

地方に散った団員たち。
喜びを分かち合った他のグループ。
お世話になったあの人々。

応援画団はまだ健在です。
これからもよろしくお願いします。


応援画団 神原


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